今日の作陽定食は、「サンマフライと具沢山麻婆、ブロッコリのオーロラソース和えとみそ汁」でした。秋刀魚のおいしい季節になりました。秋を感じるメニューです。その他の人気メニューは、「天ぷらうどんや味噌カツ丼」でした。台風の進路は気になりますが、涼しくなり、授業にも集中できる環境となってきました。中間テストが近づいてきました。頑張っていきましょう。
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秋刀魚について学びましたので
今日は味噌について学びます。
日本人には馴染みの深い味噌󠄀ですが、実は中国から伝来されたと考えられており、その歴史は飛鳥時代までさかのぼります。
味噌󠄀の起源
味噌󠄀の起源は、古代中国の大豆塩蔵食品の「醤(しょう・ひしお)」だと言われています。醤になる前の熟成途中のものがとてもおいしかったので、これが独立し味噌󠄀という食品に発展したのです。このことから、未だ醤にならざるもの、すなわち「未醤(みしょう)」と名付けられ、みしょう→みしょ→みそと変化したと推定されています。
食べ方の変化
味噌󠄀は元々、寺院や貴族階級に珍重されるほど贅沢品・貴重な食品で、味噌󠄀汁として調理されることは少なく、おかずや薬として利用されていました。今では日本人の食生活には欠かせない必需品ですが、これは鎌倉時代に「一汁一菜」という武士の食事習慣が確立し、味噌󠄀汁という形で食する方法が流行してからのことなのです。室町時代には裕福な庶民の間での自家醸造も始まり、江戸時代に入ると工業的に生産されるようになりました。
●平安時代 - 味噌󠄀は高級官僚の月給。庶民の手の届かないぜいたく品
いまのように料理をするときに使うのではなく、食べ物にかけたり、つけたりしていました。薬としても利用されていたようです。
●鎌倉時代 - 味噌󠄀汁登場!「一汁一菜」の確立
中国からやってきた僧の影響ですり鉢が使われるようになり、「粒みそ」をすりつぶした「すりみそ」がつくられました。水に溶けやすかったため味噌󠄀汁として利用されるようになり、「一汁一菜」という鎌倉武士の食事スタイルが確立されました。
●室町時代 - 大豆の生産が増え、自家醸造も始まる
味噌󠄀汁が庶民の間に浸透しただけではなく、いまに伝わる味噌󠄀料理のほとんどがこの時代につくられ始めました。大豆栽培の奨励策に伴って大豆の生産が増え、味噌󠄀の自家醸造も始まりました。
●戦国時代 - 兵糧として欠かせない味噌󠄀
戦国武将たちは米と味噌󠄀を兵糧(戦陣食)として携帯しました。武田信玄は信濃遠征に備え、味噌󠄀づくりを奨励し、伊達正宗は「塩蔵蔵」と呼ばれる日本で初の味噌󠄀工場を建設。こうした背景から戦国武将の出身地には味噌󠄀どころが多いのです。
●江戸時代 - 「医者に金を払うよりも、みそ屋に払え」
味噌󠄀は現代と変わらず、なくてはならない食品となっていました。江戸の人口が50万人に達し、江戸の生産だけでは間に合わず、三河、三州、仙台みそが江戸に運ばれ、味噌󠄀屋は大繁盛。レシピ本も刊行され、味噌󠄀の料理が一気に広がりました。
味噌󠄀は、誕生以来1300 年以上にわたり日本人の食生活の中で育まれ、発展してきました。日本全国それぞれの地域で、原料事情、気候風土、食習慣や嗜好に合わせた、さまざまな特色を持った味噌󠄀がつくられています。家庭と食堂のみそ汁が一番!
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