かにかまの秘密!
「カニカマ」の発明については幾つかの説がある。
スギヨ説
石川県七尾市の水産加工メーカーであるスギヨは、1972年(昭和47年)に、着色・着香した蒲鉾を細く裁断した商品である「珍味かまぼこ・かにあし」を発売したのが最初と主張している。コンブから取れるアルギン酸で人工クラゲを作ろうとしていたところ、その失敗作がカニの食感に似ていることに気づき、人工カニ肉の製作を思いつく。「カニのようでカニでない」とのキャッチコピーで、あくまでも「アイディア商品」として全国に広告宣伝活動と販売を行った。
大崎水産説
現在の広島県広島市西区の漁師町である草津の蒲鉾屋を発祥とする大崎水産が「カニカマの元祖」とする文献もある。大崎水産も自社が「カニカマの元祖」としている。フランスのテレビ局・CANAL+はカニカマの特集で、大崎水産を「カニカマの元祖」として紹介した。1974年(昭和49年)に商品化し、棒状のカニ風味カマボコ「カニスチック」を発売した。これが今日もっとも一般的な形状である「カニカマ」である。2013年(平成25年)に農林水産省後援、日本食糧新聞社主催の「食品産業功労賞」を「カニカマ」発明普及貢献・「世界食」海外開拓の貢献者として受賞している。外国でもカマボコになじみができたのは、今後の業界にとっても大きな財産です。
石川県七尾市の水産加工メーカーであるスギヨは、1972年(昭和47年)に、着色・着香した蒲鉾を細く裁断した商品である「珍味かまぼこ・かにあし」を発売したのが最初と主張している。コンブから取れるアルギン酸で人工クラゲを作ろうとしていたところ、その失敗作がカニの食感に似ていることに気づき、人工カニ肉の製作を思いつく。「カニのようでカニでない」とのキャッチコピーで、あくまでも「アイディア商品」として全国に広告宣伝活動と販売を行った。
大崎水産説
現在の広島県広島市西区の漁師町である草津の蒲鉾屋を発祥とする大崎水産が「カニカマの元祖」とする文献もある。大崎水産も自社が「カニカマの元祖」としている。フランスのテレビ局・CANAL+はカニカマの特集で、大崎水産を「カニカマの元祖」として紹介した。1974年(昭和49年)に商品化し、棒状のカニ風味カマボコ「カニスチック」を発売した。これが今日もっとも一般的な形状である「カニカマ」である。2013年(平成25年)に農林水産省後援、日本食糧新聞社主催の「食品産業功労賞」を「カニカマ」発明普及貢献・「世界食」海外開拓の貢献者として受賞している。外国でもカマボコになじみができたのは、今後の業界にとっても大きな財産です。
マルハ説
水産業界の中でも気を吐いたのは最大手の大洋漁業(現・マルハニチロ)で、同社は1973年(昭和48年)にアンゴラ沖で大量に捕れた小型のズワイガニにスケトウダラのすり身を混ぜ、80%カニ肉で製造し発売した「カニ棒」が、カニカマの先祖と主張している。大洋漁業は1977年(昭和52年)から、スケトウダラ100%のカニカマを生産し、アメリカ合衆国で売り込みを図ったが、芳しくなく、その後1979年(昭和54年)にアラスカのタラバガニが壊滅状態になり、アメリカの国内景気の悪化で、本物のカニが口に入りにくくなって売れ始めた。加えて、アメリカ合衆国西海岸に寿司屋が林立するほどの日本食ブームになって1981年(昭和56年)6月頃から、爆発的に売れ始め、その後、ヨーロッパでも売れ始めた。
水産業界の中でも気を吐いたのは最大手の大洋漁業(現・マルハニチロ)で、同社は1973年(昭和48年)にアンゴラ沖で大量に捕れた小型のズワイガニにスケトウダラのすり身を混ぜ、80%カニ肉で製造し発売した「カニ棒」が、カニカマの先祖と主張している。大洋漁業は1977年(昭和52年)から、スケトウダラ100%のカニカマを生産し、アメリカ合衆国で売り込みを図ったが、芳しくなく、その後1979年(昭和54年)にアラスカのタラバガニが壊滅状態になり、アメリカの国内景気の悪化で、本物のカニが口に入りにくくなって売れ始めた。加えて、アメリカ合衆国西海岸に寿司屋が林立するほどの日本食ブームになって1981年(昭和56年)6月頃から、爆発的に売れ始め、その後、ヨーロッパでも売れ始めた。
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