2021年7月7日水曜日

まんぷく食堂番外編 今日は七夕!探究学習の参考にできれば…食と文化を大切に!

今日は七夕です。「七夕」にまつわる由来と食文化などを調べてみました。(探究学習の参考に)


七夕の由来
夏の夜空に明るく輝く3つの星は、夏の大三角とも呼ばれる。この3つの星のうち、こと座のベガを織姫、わし座のアルタイルを彦星とする伝説は、日本人にとって馴染みが深い。この伝説をもとに催される行事が、七夕(たなばた)である。五節句の一つでもある七夕は、日本において古くから人々に親しまれ、七夕に行われるお祭りを楽しみにしている人も多い。七夕の夜には、空で年に一度会うことを許された織姫と彦星が再会を果たし、人々は願い事を書いた短冊を笹に飾り祈る。もともとは中国の彦星と織姫の夫婦が仲良く毎日楽しく暮らしたが、仲が良いあまりに仕事を忘れ遊びほうけるようになった。それに怒った天の神は、二人を引き離して別々に生活させたが、二人があまりにも悲しそうにしているので、1年に一度、7月7日の夜だけ会うことを許したという物語です。一説には日本にもともと存在していた「棚機津女(たなばたつめ)」の伝説と結びついて宮廷や貴族に広まったといわれている。その後、江戸時代ごろには五節句の一つとして、七夕の行事と共に織姫と彦星の伝説も庶民に知られるようになり、織女星にお酒や食物を捧げ、習字や裁縫が上手になるようお祈りする「七夕(しちせき)」として徐々に定着していったのだ。「青・赤・黄・白・黒」の短冊。それぞれの色が陰陽五行説の「木・火・土・金・水」を表し、五徳という教えを示す。近代では「緑・赤・黄・白・紫」が一般的とされている。

仏教の教えにも結び付く

7月7日「願わくは我弟子等大願をおこせ」日蓮聖人
個人的な願いより、大きな願いも大切です。短冊に願い書きましたか?実は、この七夕は、お盆と大変関係があるのです。ひこぼしを此岸、織姫を彼岸と譬えたとも言われます。地方によっては、七夕の日にお仏壇の掃除をし、お花を飾り、お盆の準備を始めるところもあります。7月7日の夕刻から精霊棚を設け、幡を安置して、お坊さんにお経をあげてもらうのですが、ここから棚経(たなきょう)と言うようになったそうです。ちなみに笹の葉は先祖の霊が宿る依代(よりしろ)の意味があります。笹に願い事を書いて結びつけるようになりました。周りへの愛や人間力を高めたいときに使うと思う色の短冊に、相手への感謝の気持ちを書くとよいそうです。
合掌

七夕にまつわる、さまざまな食文化

七夕にそうめん

七夕の行事食としてよく知られている、そうめん。「天の川に見立てて食べる」という説もあるが、もともとは七夕が中国から伝来した際に、共に言い伝えられた「索餅(さくへい)」がそうめんの起源であるとされている。

索餅

中国に伝わるねじり菓子で、中国には「七夕に索餅を神様にお供えし、無病息災を祈る」という風習があった。油を塗ってひねり乾かした索餅は、そうめんと形が似ていた。さらに、そうめんが織姫を連想させる織り糸に似ていたことから、徐々にそうめんが供えられ、食べられるようになったという。

ちらし寿司

実は七夕にまつわるちらし寿司の由来は特に存在しない。そもそも日本には昔からお祭りや祝い事の日にはお寿司を食べる習慣があった。例えば海のない地域では山菜や野菜を酢飯と交互に敷き詰めた「角寿司(かくずし)」と呼ばれるもの、漁業が盛んな地域では「棒鮨(ぼうずし)」や「ばら寿司」など魚介を使ったものなど、具材や作り方は地域ごとに異なるが、確かにハレの日にお寿司を食べる習慣は全国各地にある。

「七夕ほうとう」

長野県の特に松本市周辺には、七夕にほうとうを食べるという風習が今でも存在する。ほうとうといえば、山梨県の郷土料理として知られているが、松本市の「七夕ほうとう」は違う。七夕ほうとうは、ゆでたほうとうを水にさらしてほぐし、きな粉やゴマ、小豆餡を絡めたもの。今は決まった日に食べられていないが、もともとはお盆を迎えるために8月7日の朝、先祖代々の墓掃除の後に食されていたという。


短冊に願い事を書いたり、そうめんをすすったりと、現代の日本でも、身近な行事として定着している七夕。その歴史を振り返ると、1000年以上も前に中国から伝わってきた文化は少しずつ形を変え、日本独自の文化として根づいていったことがわかる。これまで何となく過ごしていた七夕も、一つ一つの由来や意味を意識すれば、今年は少し違った過ごし方ができるかもしれない。

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今週のまんぷく食堂

 今日のランチメニューは・・・ 回鍋肉丼、切り干し大根と春雨のサラダ、味噌汁でした!