今日の作陽定食は、「豚のみそ焼きとごぼうのピリ辛煮、キャベツの胡麻和え」でした。豚のみそ焼きを家で作ると匂いが立ち込めるのでいや、というご家庭が多いと思います。食堂で食べるのが一番!ですよ。大好き。おいしいんだから・・・。
味噌の歴史とイメージの変化
味噌は古くから、日本人の歴史を支えてきました。
味噌がいかに長く日本人の健康を支えてきたか、歴史を辿りながら見ていきましょう。
■平安時代味噌はぜいたく品
平安時代に初めて「味噌」という文字が文献に現れます。
この頃味噌は今のように調味料として料理に使うものではなく、食べ物につけたり、
なめたりしてそのまま食べていました。また、地位の高い人の給料や贈り物として
使われるなど、庶民の口には入らない貴重品でした。
■鎌倉時代みそ汁登場
鎌倉時代に中国から日本へやってきた僧の影響で、すり鉢が使われるようになり、粒味噌をすりつぶしたところ水に溶けやすかったため、 みそ汁として利用されるようになりました。みそ汁の登場によって「一汁一菜(主食、汁もの、おかず、香の物)」という鎌倉武士の食事 の基本が確立されたと言われています。もともとは質素倹約を重視した食事とされていましたが、現代ではバランスの取れた食事のスタイルとして扱われています。
■室町時代味噌料理の発展
室町時代になると大豆の生産量が増え、農民たちが自家製の味噌を作るようになり、味噌が保存食として
庶民にも浸透しました。今に伝わる味噌料理のほとんどがこの時代に作られたと言われています。
■戦国時代味噌は戦陣食
戦国武将たちは戦場での食料に必ず味噌を持ちました。当時、味噌は調味料であるとともに、貴重なたんぱく源でした。保存できる栄養食であったこともあり、干したり焼くなどして携帯しやすくしていました。武田信玄は「信州味噌」、豊臣秀吉、徳川家康は「豆味噌」、伊達政宗は「仙台味噌」というように、味噌づくりをすすめていました。
■江戸時代味噌文化が花開く
江戸の人口が50万人に達し、味噌の需要に対する生産量がまかないきれなくなりました。そこで、三河や仙台からどんどん味噌が江戸に送られ味噌屋は大繁盛しました。また、江戸の人口は女性よりも男性が多く外食が発展し、味噌を使った料理も同時に発達していきました。みそ汁が庶民の味となって飲まれ始め、味噌が生活になじんでいきました。
■昭和時代味噌生産技術の発展
時代にともない、味噌の容器は樽から冷蔵庫へ収納しやすいカップへ変化してゆきました。
また、昭和にはだしを取る手間を省いてもおいしいみそ汁を作ることができるだし入り味噌が登場し、社会進出する女性たちを後押ししました。
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